2019/12/1 愛岐トンネル群 探索
崖の上に作られたJR中央西線 定光寺駅
公開 最終日とあって 駅前の道路と言うか通路は人と車でいっぱい。
いまや廃墟となった 旅館 千歳樓の前に 車1台ぶんの 空きを発見。
ところが 4輪の方が入りたがっていたので場所を譲る。
まあバイクだから 適当に止めておこう。
廃墟の前に横付け。
入場料は確か100円だったかな?
明治時代に作られたレンガ造りのトンネルです。
私が小学校6年生ぐらいまでは 蒸気機関車やディーゼルカーに乗って 多治見 長野新潟方面へよく行きました。
その時中央西線が通ってたのがこのトンネル。
今から50年以上前ですね。
中学生ぐらいの時に複線電化されて現在のルートとなりました。
列車の窓から 顔を出してると
「おいそこの坊主トンネルだ窓閉めろ」と
怒鳴られることも。
四つ下の弟と二人で新潟の親戚まで急行赤倉号で行ったこともあったなぁ。
当時は 名古屋から新潟まで直通で 10時間ぐらいかかったかな?
それにしても 明治の人たちはすごいな。
こんな断崖絶壁みたいな所にトンネルを幾つも掘って鉄道を作っちゃうんだから。
当時はレールも ヨーロッパやアメリカからの輸入品だったみたい。
八幡製鉄所はあったけどまだレールを作る技術がなかったのかな。
富国強兵の時代だから 追いつけ追い越せ。
産業振興には まず鉄道を引かなくちゃ。
日本全国いたるところで みんな頑張ったんだろうな。
現代の 我が国では 色々めんどうで、
明治の時代のように挙国一致と言うわけにはいかないね。
リニア中央新幹線 南アルプストンネルもどうなるかわからんし。
今日は前半戦で 体力消耗したので、 岐阜県境まではいかず 途中で U ターン。
バイクのところに戻ると、 来る時に一緒に止めた 可児市の 方と、 しばしバイク談義。またまた、時間が経つのを忘れて色々と話し込んでしまう。
バイクに乗ってると こういうケースよくあることです。
話しかけたり、かけられたり。
帰り道は庄内川右岸ルートでスイスイと帰宅しました。